漁師もつれ

30代ゲイの想いのハケ口です。エンタングルメント。

38.全ての最後に。

ところどころ大文字になっていますが

バグです。気にしないで読んでね。

 

本当に久しぶりです。

ゲイ関係の方と連絡を取れず、

1年余りが経とうとしております。

 

様々な事を書こうと思うのですが、

内容が若干エグいかもしれません。

あまり辛気臭いのが苦手な方は読まない

方が、良いと思います。

 

さて、私、こちらのブログでは

ノンケのM君に対する恋愛感情について

吐き出して参りました。

今回はそういう記事ではありません。

自身の状況などについてを赤裸々に

書こうと思いまして久しぶりにこのブログを

開きました。  

 

ちなみにM君との関係につきましては、

彼が遠方に行ってしまってからは

あまり絡みは無くなってしまいました。

特に状況は変わりません。

自分の気持ちも割りと落ち着いていて、

そこまで苦しい状況では無くなりました。

 

 

本題に入ります。

 

振り返ると、

自分は18歳で地方から東京に出て来た後、

20代から30代のほとんどを二丁目に

通ったりゲイの友達と遊んだりしてきました。

いわゆるゲイライフを満喫した人生でした。

故郷を顧みず、日々、東京で、ゲイのみんなと

遊ぶ事が幸せでした。

池袋に住み、二丁目に通い、

地方ゲイの憧れるような生活を続けていました。

将来の事も考えず、その時楽しく過ごしたい、

そんな毎日でした。

 

そんな人生を歩んでいましたが、

ここ数年は本格的に体調を崩しはじめ、

飲みに出たりする事が出来なくなりました。

若い頃から放置していた糖尿病が原因です。

 

デブには多い病気、デブ細業界には

つきものの病気です。

20代後半には神経症による射精障害、勃起不全

などの症状があらわれ、

ゲイとして重要なセックスという行為が

ほとんど満足に出来なくなっていました。

好きな人が出来ても、好意を持ってくれた人

からも、離れざるを得ない、辛い時期が

長かったように思います。

本格的に治療すれば良かったのですが、

じわじわ体を壊す糖尿病、あまり実感を

持って向き合えませんでした。

 

周りのみんなが恋愛したり、セックスしたよ、

というような話を聴いたりするのが

楽しかったので、そんな負い目がある

中でも周りの人たちと変わらない活動を

しようと必死な時期でした。

周りからは遊んでる人、みたいなレッテルを

貼られ続けていましたが、実情は

こんな感じでした。

くだらない噂なんか信じちゃダメですよ。

 

30代に入ると、高血圧などの症状が現れ、

糖尿病性網膜症という目の病気を発病しました。

これがどんどん悪化し、

最近では両眼ともにほとんど視力が

無くなり始め、その頃から

こちらの活動をしなくなり始めました。

日常生活がやっと、仕事がギリギリ出来るかというような状況だったので、プライベートで

遊びに行くというモチベーションがほとんど

無くなってしまいました。

 

ノンケに恋してゲイ活動をしなくなった、

というのは本当の理由ではありませんでした。

病気の事が1番でした。

 

何故こんな事を赤裸々に書いてるの?

と感じる方は、多いでしょう。

 

実は最近になって、網膜症の手術を

する事になり、入院出来るはずだったのですが、

微熱があり、入院延期になってしまいました。

微熱の原因を検査するため、近くの病院に 

行き、色々と精密検査を受けたところ

末期ガンの宣告を受けてしまいました。

 

これは最近モンストでソロガチャ二連発で

ソロモンが出た時以来の衝撃でした。

 

進行性のスキルス胃がんで、

1年前くらいから知らない内に

病気が進行していたようで

様々にガンが転移しており

手の施しよう無しです。

ベホマも効きません。

 

胃の出口が閉塞してしまい、 

飲み食いは全く出来ず

プチダイエットならぬ、

強制テラダイエットにより

体重も激減、

仕事も出来なくなり、東京での生活も

不可能になってしまい、

東京を離れ、実家で最後の時を待っております。

おそらく次の元号を知ることは無いかな。

 

ラインとかツイッターとか、反応しなかったら

察して下さい。

あ、あの人はもう電波の届く範囲には

居ないんだな、と。

実家だからとかじゃなくて。

 

とりあえず、何も言わずにゲイ業界を

去り、ツイッターやラインも反応出来なかった

事についての説明をしたかったのと、

今後も反応出来ない理由、

自分のような人間と、仲良くしてくださった

方々への感謝の気持ちを綴りたく、

幸いこのような場を持っていたので

今回発表する事にしました。

 

本来なら個人的に連絡をするべきですが

前途した網膜症のせいで

スマホの画面を見るのが辛すぎる!

という事もあり、入院期間の暇な時間を

使い倒してゆっくりゆっくりこの記事を

書いております。

 

二丁目でちょっと絡んでくれた方、ネット上で

絡んでくださった皆さん、仲良く遊んでくれたみんな、自分とお付き合いしてくださった方々、

何度も飲みに行かせて頂いたお店の方々、

本当に楽しい時間でした。本当に幸せでした。

ゲイに生まれた事を悲観した時代もありましたが、皆さんと時間を共有出来た事で、

人生がとても充実したものとなりました。

ゲイバーで働き、発展場に行き、彼氏が出来たり

素敵な飲み仲間が沢山いて、

後悔する事は一切ありませんでした。

 

今後、皆さんの人生が明るく楽しいもので

あることを祈ります。

 

 

いままで殆ど誰にも言った事は無かったの

ですが、自分は21歳の頃に、初めて出来た

彼氏と埼玉で同棲をしていました。

しかしその彼は重度の鬱病を患っていました。

ある日、自分が仕事から帰ってきたら

彼氏が部屋で首吊り自殺していました。

前の日、彼氏は実家に帰って病気の療養を

するか、

でも私と一緒に居たいので同棲を

続けるか、という

事で凄く悩んでいました。

あの時、仕事に行かず、一緒に居てあげれば

良かったなと思います。

 

若かった自分には精神的ダメージが大きく、

しばらく実家に帰っていました。

 

少し経って、気持ちが落ち着いた頃に

彼氏と同棲していた部屋に戻ることにしました。

しばらくは当時の友人がすぐに部屋に住んでくれて、精神的なサポートをしてくれました。

その友達も少し経ったあと、

引っ越して行きました。

 

また1人になったその部屋で、しばらく

生活をしていたのですが、

ある夜、うっかりストーブを布団のすぐ横に

点けっぱなしで寝てしまい、

起きたら布団がストーブにかぶさってしまったようで、布団が丸焦げになっていました。

しかし、何故か火は完全に消えていて、

自分には火傷ひとつありませんでした。

彼氏が死んでいた場所の目の前の出来事です。

 

あの夜、きっと、死んだ彼氏が自分を

助けてくれたんだと今でも思っています。

20年近い人生の猶予を与えてくれたんだと

思います。

 

その彼氏にもうすぐ逢えるかもしれない。

逢えたらあの日、命を救ってくれた

お礼を言いたいのと、

あの日、君の分も精一杯

人生を頑張って生きる、と

誓ったのに、

ぜんぜん果たせなかった事を謝りたい。

 

 

 

内容が江戸時代の夜並みに暗くなりましたね、

ぼちぼち終わりたいと思います。

 

書きたい事はほとんど書けたかな。

この記事に嘘偽りは全くありません。

最後だからこそここまで書けた訳です。

 

今後皆さんにお会いする事も、ネットで

絡む事もないでしょう。

こういうゲイが居たなあ、くらいに

記憶しておいて下さい。

 

心残りはウォーキングデッドのラストが

観えないこと。

まさか先に自分がデッドするとはね!!

 

このブログ、主人公の死という

衝撃的なラストになってしまいました。

 

まあブログ的なオチとして、

一言

 

 

 

M君と来世で一緒になれますように!

 

 

それでは皆さん本当にさようなら

素敵な思い出をありがとう